一人一人に感謝し、感謝されるリーダーへ
2023.04.10
プロフィール
氏名
原駿介
原家はもともと武士の家系であり、江戸時代には徳川幕府を守護する役目も果たしていたそうです。祖父母の家には今でも日本刀や甲冑が残存しており、原家の歴史を垣間見ることができます。祖父は地域の歴史の語り部として、地元の小学校の特別授業にしばしば参加しています。
駿介という名前は母が提案してくれたものです。馬のように素早く優雅に、そして人を助けられるようにという願いが込められています。素早さはまだまだ道半ばであり、優雅さは全く叶えられていないかもしれませんが、「人を助けたい」という思いは今の自分にも根付いているのではないか、と振り返ることができます。
所属大学
早稲田大学商学部4年
高校までの組織においてリーダーを務めることが多かった私は、「リーダーとは何か」「どうすれば組織を成功させられるのか」「より大きな組織においてどうリーダーシップを発揮していくのか」についてよく考えていました。
「大学ではビジネスの観点からこのリーダーシップを学びたい。」そう考えた私は、学習内容が自身の興味と最も近い商学部を志望しました。
家族構成
父、母、本人
私はよく、「弟や妹がいそう」と周囲から言われるのですが、生粋の一人っ子です。父と母は元々職場の同期だったそうですが、今では両親ともいわゆる「士業」の分野で自営業として活躍しています。
自身の性格と両親の性格を比較したときには、積極的に動いたり会話したりする点が母に似ている一方、物事を観察したり分析したりする癖は父親から譲り受けていて、両親と重なる点を自分でも多く見出すことができます。
趣味
サッカー観戦、将棋、お笑い鑑賞
特にサッカー観戦は4歳のころから続けていて、地元の川崎フロンターレというチームの大ファンです。チームが二部に所属していた頃から応援していて、今では過去5年で4回優勝するような強豪チームへと成長しました。
観戦に関して、地元で行われる試合はもちろん、日本全国まで見に行くほど熱狂的に応援しています。もちろんサッカー自体を観ることも好きですが、それ以上にそのクラブへと惹かれています。キーワードは地域貢献性です。サッカー以外の活動も含めて、地元川崎市のあらゆる団体と手を組みながら一緒に地域を盛り上げようとする姿勢が強いクラブだからこそ、地域の住民が一体感を持って応援できるようなアットホームなクラブが作られている、そう感じています。
年20回近く訪ねるサッカー場にて
主な活動
〇キャリア支援団体En-Courage早稲田支部
私は2021年2月より、キャリア支援を行うNPO団体「エンカレッジ」において、早稲田大学の学生のみが所属する「早稲田支部」に所属しています。
早稲田大学へ通う学生を対象にしたサービスを扱う団体で、彼らが自信をもってキャリア選択できるための一歩一歩をサポートしていくことが団体の目的となっています。
この団体へ入った理由は三点ありました。その三点は、「未来の自分に還元される」という点で共通しています。一点目は、顧客と継続的に対話を重ね、価値を提供していく経験を求めていたからです。エンカレッジで「メンター」として就活生の担当になり、一定の頻度でコミュニケーションを重ねる経験は、対話を資本とする様々な仕事において活きると考えたからこそ、意義を感じていました。
二点目は、背景が様々なユーザーと数多く直接関われる環境を求めていたからです。私の内定先における法人営業では、一人当たり20~30社ほどの担当者となり、互いの顔が見える形でのコミュニケーションを重ねていきます。エンカレッジにおいて約25人の「エンター」と1対1で接する機会は、将来の業務において必ず活きてくると考えました。
三点目は、「人と組織」について科学的に考え、実行できる環境を求めていたからです。これまでのリーダー経験から、「リーダーたちが組織をどう作り上げていくのか」に興味があった私は、学生主体だからこそ裁量権を持ってそれを叶えられる環境に魅力を感じました。そしてその学びは、社会人として自身がリーダーとしての視点を持ち行動するために、必ずやプラスに働くだろうと考えました。
そういった理由でエンカレッジへジョインした私は、1,2年生に「キャリアのきっかけをもたらす」部署に属し、内部インターン生や部署全体の人事業務を取りまとめるリーダーを務めています。当初は希望するセクションではなかったものの、先述したように、「人と組織」について戦略的に考えられる経験を欲していた自分にとっては、とてもマッチする環境だったと振り返ることができます。
具体的な業務としては、成長を志すインターン生の採用、所属するインターン生の成長のための企画や面談の実施、アンケートやヒアリングの結果を基にした他チームへのアドバイスやメンバーの配属転換を行っています。
エンカレッジ早稲田支部の同期と撮った集合写真
〇資格取得サークルの副幹事長
大学3年次の2020年12月の引退まで、資格取得サークルという珍しいサークルに所属していました。入会したきっかけは、Twitterで偶然サークルの案内を見かけたことでした。当初、資格自体に興味が強かったわけではありませんでしたが、先輩方の学習する姿勢や普段の接しやすさに魅力を感じて入会しました。
サークルでは簿記検定やFP検定のようなメジャーな資格から、バーベキュー検定や忍者検定のようなユニークな資格まで、二桁にも上る資格の取得に励んできました。例えば忍者検定という資格には、知識を問う筆記試験と技術を問う実技試験があり、両方の試験を受けて資格取得に繋げました。といっても、投げた手裏剣は一回も的に命中しなかったので、私はいわゆる「ペーパー忍者」ということになります。
またサークル内では、大学2年~3年次に副幹事長を務めていました。副幹事長としての経験談は、今後の記事の中で紹介させていただきます。
〇企業経済学ゼミの副幹事長
大学3年次である2020年4月より所属するゼミでは、企業経済学をテーマとして研究を行い、チームでの論文執筆やマーケティングに関する大会出場を経験してきました。現在では個人としての論文執筆に取り組み、「企業のCSR活動への取り組みがコロナウイルス流行時に投資家から信頼を得る際の要素となるか」について、株価推移を参照しながら実証研究を進めています。
また、ゼミへの参加当時より副幹事長を務め、主に後輩のゼミ生採用の主導を行っていました。オンライン授業という難しい状況での採用の経験は、「逆境でもできることを着実に行う」力を養うにあたり、貴重な経験だったと考えています。
"私”を形成する経験
感情が動いた具体的な経験談
中学二年生次、健康診断で疾患が見つかり、サッカーを辞めなければいけなくなったことです。健康診断を受けてから数日後の休み時間、突然当時の担任の先生に呼び出され、当直の医師の方から診断を伝えられました。ただ無邪気に走っていただけの自分にとって、あまりに突然のことでした。(この疾患は現在では回復しています)
特に自覚症状のある疾患ではなく、だからこそ私は戸惑いました。「なぜ自分が病気なのだろうか?」「サッカーぐらい特段何も問題はないのでは?」これが当時の私の正直な感情です。
この戸惑いの感情は、自身に無力さを抱かせることにつながりました。「原にはどうしようもないこと」「頑張っても不運だってあるよね」周囲からはそう言われました。好きなサッカーを続ける選択肢が絶たれた私は、友達とゲームをしたり遊びに行ったりと、特に意志も目標もなくただ流れに身を任せる年月を過ごしていました。
当時の感情は、表現すると「諦め」に近かったと回想できます。不条理な「病気」という出来事に対して、現実から目を背けて堕落した生活を送っていること。当時はそのことについて何も考えていませんでしたが、今思うと自分にとって暗い時期だったと振り返ることができます。
困難を乗り越えた具体的なきっかけ
私がこの無力感を乗り越えたきっかけは、周囲の友人たちでした。彼らはまず、自分の話をとにかく聞き、置かれた状況のことを理解してくれました。次に、面白おかしく冗談を言いながら、「原のことを求めてくれる環境がたくさんあるよ」と教えてくれました。そして最後に、珍しく真剣な口調で、「原の強みはとにかく積極的に行動できること、周りへの気配りを忘れないことで、それはサッカーを離れても関係なく発揮できるよ」と言ってくれました。
友人たちは普段、そこまで自分に気をかけてくれるタイプの友人ではありませんでした。ただ、私が困難に直面している場面でこそ、彼ららしく声をかけてくれたことが、自分にとっては忘れられません。
当時の彼らは、何の言葉も発していなかった自分になぜ声をかけてくれたのか。直接彼らへ聞いたことはありません。しかし、自分のことを常に気をかけてくれていたからこそ、彼らなりのやり方で声をかけてくれたのだと確信しています。彼らに深く感謝し、今度は自分が同じ価値を提供できるようになりたいと考えた私は、心を入れ替えて行動を始めました。
その後の自身の行動
「自分の強みを活かせば、未知の分野でも輝けるのではないか…」
友人たちの言葉から気づかされた私は、殆ど未経験の状態で将棋部に入部しました。この将棋部は、以前全国大会の団体戦を連覇するほど強豪だった一方で、入部当時は全国優勝からしばらく遠ざかっていました。将棋の実力において、当然周囲とは大きな差があった私ですが、自分の強みを基に二つのことを意識して行動し、自分なりのやり方で部の成果に貢献しようと考えました。
一つ目は、まず自分自身が将棋において努力を重ねることです。周りとの実力差に諦めの感情を持つのではなく、「できないからこそ」基礎的な定石をとにかく覚えたり、強豪の先輩と手合わせをお願いしたりすることで、自身の棋力向上のみならず、周囲にもいい影響を及ぼせる部員であろうとし続けました。
二つ目は、自身の明るいキャラクターと視野の広さを活かし、部活を「楽しむ」という風土を全体へと根付かせることです。部活動で実力が発揮できず、必要以上にネガティブになるメンバーもいた中で、小さな成功体験を振り返って次に繋げることの大切さを説きたかった私は、一手一手レベルの単位で具体的にメンバーを褒め、応援者であるためにあえて改善点も言い渡し、それをさらに乗り越えることの大切さも伝えました。
結果として、団体戦の全国優勝という成果に「部の一員として」貢献し、そして後輩たちから「原がいてこその将棋部だった」と言ってもらえるまでになりました。個人個人が将棋へ本気で打ち込み上達していく時の楽しさ、部活というチームが本気で団結して結果を目指していく時の楽しさ。それらを知ることができたのも、友人たちの声がきっかけでした。
二つの行動に共通していたのは、いわゆる「エース」ではないメンバーの想いに寄り添ったことです。「エース」たちの実力が秀でている以上、それ以外のメンバーは部活動の半ばで腐ってしまいがちです。皆さんの中にも、同じような立場で同じような悩みを抱えていた方はいらっしゃるのではないでしょうか。将棋の実力に関係なく全員が立派な部員であり、全員と誠実に向き合うべきだと考えていた私は、一つ目の行動においてまず自身の「背中を見せる」事を努力しました。自身の努力から説得力を生み出した上で、二つ目の行動において部全体を変革しようと努力しました。
だからこそ、ただ「強い人が強い」組織ではなく、「お互いを高め合い強くなれる」組織へと変えることができたのではないか、と振り返ることができます。
団体戦全国優勝の記念品
将棋部にプロの先生が来訪された際の一枚
困難を乗り越えて変わったこと
私は、病気という不条理の中で周囲から大きな助けをもらい、新しい一歩を踏み出すことができました。そして、周囲への感謝を胸にしながら、将棋部では周囲を助け成果を追い求めるために奔走しました。どちらにも共通しているのは、直接発した声ではなくとも、自分もしくは周囲が他者の想いに「気付いて」行動し、結果につながったということです。
だからこそ、周囲の「発されることのない声」に対して敏感になりました。困っていても言い出せなかったり、悩んでいても相談できなかったり、そんな苦境に立たされているメンバーがいないかどうか。この心配りは、先述した自身の経験があったからこそ強く持てるようになったものです。もちろん将棋は今でも趣味の一つとなりましたが、将棋と出会えたこと以上に、こうした成長こそが現在へと繋がっていると考えています。
それは、現在自分がリーダーの一人を務めるNPO団体において、大きな財産となっています。メンバーのモチベーションについて常に気を配り、そして声掛けと称賛を忘れずに、誰一人取り残すことないまま成果を追求すること。これが今の自分のリーダーとして追い求める理想の姿であり、これまでの経験で培った価値観であると断言できます。
これから成し遂げたいこと・理想の姿
私は、2022年4月より金融系の会社に就職します。主な顧客は大企業であり、顧客の担当者の先には多くの従業員がいて、ひいてはその企業のサービスを受ける人たちがいます。だからこそ、マクロな視点を持って仕事をする傾向が強くなりがちです。裏を返せば、小さな事柄を軽視してしまう危険性もはらんでいると自覚しています。この危機感もあって、自身は常に「小さなことにもこだわりぬける」人でありたいと考えています。初心を忘れず、真摯かつ謙虚に一人一人のお客様と向き合うことこそが、自分にとって「あるべき姿」なのだと考えています。
もちろん、会社のミッションとしてはマクロな思考になるのは当然であり、自分自身としても大きな影響力を持って社会貢献に携わりたいと思っています。ただし、それは小さな努力が積もって成せる完成物であり、そのことを胸に刻んで進んでいきます。つまり、私にとっての理想の姿は、「一人一人と誠実に向き合い続け、その結果として大きな成果を生み出せる」リーダーです。
学生としても社会人としても、その理想像を常に追い求めながら誠実に努力していきたいと考えています。ぜひともよろしくお願いします!
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