高みを目指してこそ「謙虚さ」は生きる
2023.04.04
クレド4.誠実・謙虚であれ
周りの人たちに対して、損得ではなく誠実・謙虚に行動していきます。小さな約束もきちんと守り、信頼を積み重ねていきます。
はじめに
「私の強みは謙虚さです」
周囲から強みを問われた際、こう答える人は少なくないでしょう。「謙虚さ」は特に、日本人の美徳とも称されます。
一方で、皆さんは「謙虚さ」を正しく捉えられているでしょうか。以前の私は、目的意識もなくただ自分を低く見せておくことで、「謙虚さ」を表現しようと考えていました。しかし今となっては、それが本当の「謙虚さ」ではなかったと断言することができます。
この記事は、「優秀な仲間たちに囲まれ、自分を見失ってしまいがちな人」に向けた記事です。
「謙虚さ」を考えるエピソード~私の大学受験から~
「謙虚さ」を考えるにあたって、私自身の大学受験のエピソードが良い教訓となります。
「謙虚さ」を誤解していた自分
私は、進学校と言われる中高一貫校に6年間所属していました。そして、大学では経営分野の勉強をしていきたいと考えていました。中学と高校でリーダーのポジションを数多く経験したからこそ、より影響力のある実際の企業でどんな経営がなされているのかについて、深い興味を持ったからです。だからこそ、経営の分野における研究で特徴のある国立大学への進学を目指すようになりました。
一方周囲には、似た目標を持つ優秀な友人がたくさんいました。彼らは知識を吸収するスピードも速く、圧倒される場面が何度もあったのです。学内での模擬試験の成績は真ん中あたりでしたが、「上位の生徒には勝てない」と思い、目標の達成をチャレンジの前から諦めてしまったことで、努力するスピードを緩め、時折遊びに行くようになってしまいました。
当時の自分は、これを「謙虚さ」だと捉えていました。優れた人にへりくだり、自分自身を低く評価することで体面を守ろうとしていたのかもしれません。しかしその変化は、「大学で経営の勉強をしたい」という目標すら霞ませてしまうものだったのかもしれません。
その結果と反省
結果は言わずとも当然で、第一志望の大学に合格することはできませんでした。複数の大学に不合格となった後、今の大学になんとか合格できました。
充実した4年間を送ることができたのは幸運としか言いようがありませんが、当時の自分は心の中に大きな後悔を残していました。それは「第一志望の大学に合格できなかった」ことへの後悔ではなく、「優秀な仲間たちを見て努力を緩めてしまった」ことへの後悔でした。
今振り返ると、努力を完遂することができなかった当時の自分は、「謙虚だった」のではなく「諦めていた」だけでした。謙虚「風」だっただけで、むしろこれまでの自分を裏切る「不誠実な」自分だったと断ずることができます。
優秀な仲間がいたからこそ、当時できたはずだったことはたくさんあります。友人達は、自分が分からない問題でも質問すれば答えてくれていましたし、むしろ声をかけてくれたこともありました。にも関わらず、自分は現実と向き合わず、「どうせ自分は」と諦めて、目標を勝手に下げてしまっていたのです。
気付いた本当の「謙虚さ」
この経験から、私は「謙虚さ」の本質を考え直し、一つの答えに辿り着きました。それは、目標を下げずに向き合い続け、自らの至らない点を追求することでした。
例えば私の大学受験においては、第一志望校への合格という目標に向けて、苦手科目だった英語の克服が不可欠でした。特に長文読解のスピードが遅く、多くの設問を残したまま試験時間を終えていました。
そうした中で、英字新聞を毎日読んで速読力を上げていた友人がいました。彼は最終的に英語の偏差値を15上げ、志望校への合格を勝ち取ったのですが、当時の私は「頑張ったって状況は変わらない」と思い、彼から学ぶことをしませんでした。すぐに結果が出ない取り組みでも、地道に努力を重ねることは重要だと学び、行動に移すべきでした。
優秀な仲間たちの姿は、「より高いレベルで経営分野の勉強をしたい」という目標自体を再認識するチャンスだったと考えることもできます。もし当時の自分がそう捉えていれば、私は諦めるどころか心に火を灯して努力していたでしょう。
これらの努力によって受験の結果がどう変わったかは分かりません。しかし、「謙虚に」学び続ける姿勢を持って努力を続けていれば、結果はどうあれその過程には納得できたはずです。
現在の自分にどう生きているか
この経験を経て、私は本当の意味で少しだけ「謙虚さ」を手に入れた気がします。視座感を下げず、高い理想を追い求め続けるからこそ、至らない点や学ぶべき点をより鮮明に洗い出せるようになったのです。
現在所属しているNPO団体では、ただサークル感覚で活動するのではなく、「社会人に入った後の自分のために」活動を続けています。
「今の行動は社会人としてはふさわしいのか。」
そう自問しながら活動することで、自分自身の課題がくっきり浮かび上がるようになりました。「自らの考え方を分かりやすく伝えること」「土壇場ではなく計画的に行動すること」は課題の一例です。課題がたくさん見つかったからこそ、学びと成長を実感しながら日々の活動を進めることができています。
おわりに
今回は私自身の例を取り上げましたが、それは特殊な例ではないはずです。皆さんの心の中にも、似たような「少しの後悔」の経験が残っているのではないでしょうか。
取り上げた通り、本当の意味での「謙虚さ」とは、困難の中で諦めをつける「守り」の手段ではなく、困難の中でさらなる高みを目指す「攻め」の手段なのです。もう一度目指すべき姿を問い直し、その理想に向けて「謙虚に」歩みを進めていくことこそ、良い未来を掴むための一歩目となるはずです。
そして一歩を踏み出した時には、こう言えるようになりましょう。
「私の強みは謙虚さです」
ログインするとコメントすることができます。
新着コメント